森のなかの標本室

不思議な標本を作るアートユニット「飴色団栗研究室」にまつわるちょっとしたおはなし。毎週金曜日夜9時ごろ更新。

「使えない」は「もったいない」か

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これ、アクセサリーだったら欲しいのに

これだったら使えるし勿体無くないよね

どうせ使わないんだから、やめときなさい

 

使えないものは、不要なもの。

不要なものは、節約するのが正しい姿。

もったいない無駄遣いだから「欲しがるべきでない」と自分に暗示をかけている人は、存外多い。

 

使えないものが欲しいならば、せめて飾らねばならない。飾る場所がない。諦めねばならない。

 

まあ、一理ある。

 

美術の歴史を見ても、確かに「初めは」居住空間を彩るパーツとしての絵画であり、彫刻であった。使うためのものであった。

 

しかし、現代においてその概念は絶対ではないのだ。原点回帰は大切だとしても、そこに強制力などありはしないのだ。

 

あらゆるものが便利でデザイン性に優れ、簡単に手に入り、1つのものがいくつもの役割を果たせる時代である今、本当に我々を癒し、慰め、豊かにするのは「飾れもしない、使えない、必要でないもの」ではなかろうか。

 

家中ガラクタだらけになるのは困る。それはそうだ。しかし、少しのガラクタは我々に癒しをもたらすのである。

 

ガラクタはタスクをこなせと命じない。

ガラクタはきちんと使えと説教しない。

ガラクタは効率の良さを説かない。

ただそこにあって、楽しいねと笑うだけ。

 

ロクでもないものばかり買い集めろと言う訳ではない。ただ、昨日手に入れたガラクタが引き出しの奥に押し込まれていることを思い出すだけで、日々がより色鮮やかに、鼻歌でも歌えるような気分になることだってある。本当の無駄と悪くない無駄があるのだと、知っておいてほしいだけなのだ。